日本の「磐座」

九州の磐座から

1. 押戸石遺跡

阿蘇の北、南小国町の「押戸石」遺跡です。熊本の地元新聞に 巨大な石がごろごろあり、鬼の落としたお手玉と言われているという記事がありましたので、磐座の専門家、中西旭先生とご一緒に調査に行きました。Fig.1は、その全景を空中から写したもの。Fig.2は、その中心的な岩すなわち磐座です。この写真は磐座の南面を示していますが、西の面は、はるか玄海灘を睨むような形が仕組まれており、その下には神代文字が書かれています。磐座を頂点として形状のいろいろに異なった岩が、三段に分れては配置されています。なかには剣のようなもの動物の集まりのような石群れ、象のようで象でない進化の途上にあるかの動物のような巨石など興味はつきません。これらの岩は磐座を囲んでいるので磐境(いわさか)と呼ばれています。中西先生はこの遺跡を、古代の「三段神籬」と結論付けられ、それをもって南小国町はさっそく町指定の文化財に指定し、公の保護を受けることになりました。

2. 国見岳の神籬

九州を斜めに横切っている最古層からなる九州山地の主峰・国見岳山頂の磐座です。Fig.3は南方の小国見岳から国見岳山頂を見上げた写真です。山頂の中央に円錐型に突出しているのが神籬です。高さ7m、底面は直径が約30m、上面の直径が約15m。Fig.4は、この神籬へ登る石の階段とその上部の左側に配置された人面のように見える巨石。これは岩門と呼ばれ、写真にはありませんが右側にはハート型の巨石があり、両者で鳥居の役割を果たしています。岩門の先は直径15mの平地になっていてそこに磐座があります。
その特徴は、第一に磐座が二つあること。第二にどちらもほぼ同形同寸で山型に組まれており、第三にその二つの磐座が、東西に相対峙していることです。国見岳は、宮崎-熊本両県に跨るため、県境が神籬の中央を走り、東磐座(Fig.5)は宮崎県に、西磐座(Fig.6)は、熊本県に属しています。何故ここには磐座が二つあるのか、については太陽崇拝の祭場として深い意味があります。また、伊勢神宮の建築様式やマチュピチュ遺跡にも共通するものがありますので、後ほど再度取り上げることになります。西磐座は、左右にぐっと翼を広げたように襞が美しく伸びています。幅は5メートル、そして高さは1メートル20センチですが、上には穴が開くように磐が組まれ、そこに榊や御幣を立てたと考えられます。これに対峙する東磐座は、頂点が美しく尖り、左右に翼を張って威風堂々たる雄姿であったのですが、ある一私人がその両翼を三分の一ずつ削り取り、幅5m以上あったものが現在では180cmとなり頂点をも削除してそこに大きな祠を載せるという暴挙を行っていますので、残念ながら昔の雄姿は写真でしか伺うことはできません。

3.「笠石」

熊本―宮崎―鹿児島の三県に跨った矢岳=えびの地域には一連の神籬があります。Fig.7は、矢岳高原にある「笠石」と呼ばれている磐座で、現在は広い牧場に面しています。実はその牧場は、古代の人々が大勢集まって祭りをした広場だったのです。牧場主の話では、牧場を作るにあたって、累々たる岩をのけるのに涙を流したということです。それらは、磐境であったのでしょう。笠石の傍には、美しい鏡岩が添えてあります。

六甲山および甲山周辺の磐座から

4.「三国岩」
高さ10mにおよんで巨石が積みあげられています(Fig.7)。その大きさに人々は驚き名所の立て札を立てていますが、これは岩門で、この奥に磐座があります。しかしその磐座の前の祭りの広場には川西倉庫と大和製鋼会社が寮を建てています。幸い磐座をなす三つの岩は庭先の奥の藪のなかに残っていましたが、建築にあたっては累々たる磐境を排除するのに大変な苦労をしたということです。この磐座は、一見ただの岩のようですが、7月下旬夏祭りの時期になると太陽の位置によってそのうちの一つの岩に表面に人面の様なまた象形文字のような彫り物が浮かび上がるのですが、長い年月に磨滅して読み取ることができません。昨年からこの寮の破損がひどく、現在建て直しをしていますが、周辺の木を払って現在丸裸にされて痛ましい限りです。社長には、貴重な歴史的文化財ですからこの土地を公に寄付するよう進言しているところです。

5.「天の穂日」の磐座

 人工スキー場で有名な六甲山頂のカントリーハウスの丘上にある磐座で、古事記によると天照大神の第二皇子・天の穂日の命を祀った神籬です。山麓の芦屋神社は、この下宮に当たります。経営者である阪神電鉄の話では、ここにスキー場を作るための水道を敷いた時に、累々あった岩を排除したということです。Fig.9は、辛うじて残った磐座です。周辺の磐境が昔どおりの配置ではないとは残念なことです。

6.剣岩

 六甲山中腹にある「剣岩」Fig.10は、芦屋市の奥池にあります。先に述べたような太陽崇拝などの磐座があると、それを囲む垣根のように形状の多様な岩が磐境として配置されていますが、そのなかには「三種の神器」を象ったものがあります。「三種の神器」は、天皇家の王位継承の神器だけではなく、当時は道徳のシンボルであったようです。つまり「鏡」は神の心を映し、また人の心をも映しだす。「剣」は悪にたいする勇気、「玉」は人々の間の協力・和を象徴していました。尊い磐座には、岩によって象られた「三種の神器」が磐境として添えてある場合が多くみられますが、この六甲山の「天の叢雲(あめのむらくも)の剣」岩や、この後の「八咫(やた)の鏡」岩は、磐境であるとともに、それ自身尊く、磐座でもあります。この「剣岩」は、高さが10mで、表面にはオリオン座の三つ星が大犬座のシリウスに向かって描かれています。また『古事記』によりますと、「剣岩」に降臨される神は、武叢槌神(たけみかづちのかみ)です。この二柱の神は祓いの神で、その昔、日本列島に悪魔が入り政治をかき乱した時に、この二柱が呼ばれ、その稲光と音響、強風によって悪魔を太平洋の彼方へ吹き飛ばしたとのことです。

7.「八咫の鏡」岩(やたのかがみいわ)

 「剣岩」の真下の六甲山山麓、芦屋市の六麓荘町にあります。直径が4m、そして鏡の縁を飾るフリルは今も残っています(Fig.11)。磐境であるとともに、非常に尊い磐座でもあるので、昔は、これを御神体として神社ができたほどでしたが、戦後はまったく顧みられることなく、文化財の指定も受けられないものですから、周辺とともにさびれまして、拡張した芦屋大学が、目の前1mの所まで迫り、阪神大震災の影響を受けて、最近はやや傾いたように思われます。

8.こしき岩神社の磐座

 先に申しましたように、元宮としての磐座と里宮としての神社建築が一つの境内にある稀な例がこの神社です。神社の本殿の背後に聳える高さ10メートル、周囲30メートルの巨石があります。神社はこの岩を「霊岩・こしき岩」と呼んでいます。神社の言い伝えによると、大阪城築城のためにこれを切り出そうとしたところ、忽ち岩中より鶏鳴し、白煙立ち上り、その霊気に打たれて石工たちは転げ落ちたと書かれています。この巨石はその大きさ故に人々に畏敬の念を起こさせていますが、実はこれは岩門であって、さらに尊い磐座は、背後に続く鬱蒼とした林のなかに、人知れずひっそりと佇んでいるのです(Fig.12)。160センチ四方の磁石の上に、人型のように組まれています。しかし、背後のただ一本の松の木を切らなかったために先の阪神で震災で岩が飛び出し修復を必要としています。松の根が岩の間に伸びて岩と岩を離していたのです。

9.西宮市の甲山周辺は県立森林公園になっていますが、その中にもたくさんの磐座・磐境があります。そのうちの一つを紹介します。登山クラブの人たちはこの岩をボールドヘッド(禿げ頭)石と呼んで、これに金を打って登山の練習をしています。反対側は絶壁になっているので見る人はありませんが、実はその反対の面こそ重要なのです。Fig.13は、この岩に、目があり、鼻があり、そして大きく口を開けて、雄叫をしている様子です。東南の方角には大阪や奈良があります。向こうに見える美しい山は甲山です。

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