< 縄文の祈りとその祭場 > 古代遺跡研究所
所長  中島 和子(なかじま よりこ)

エジプトのピラミッドなど世界の古代文明をテレビで見るにつれて、日本人の心には疑問が湧く。同時代の日本に、これに匹敵する文明はなかったのだろうか。これら古代文明の特徴は、その建物が巨大で、天に届くばかりに高く、また巨石で組まれている点だ。

日本では、東北の三内丸山遺跡に続いて南九州で約九五〇〇年前の上野原遺跡が発掘されて、縄文人は、既に栗の植林をし燻製の技術をもち、海では遠洋航海、建築に関しては巨大な柱穴が示すように現代と変わらぬ技術があったことが分かり、「目から鱗」の驚きは、考古学者ばかりではなかった。

ところが ここにも疑問が残る。発掘はすばらしいが、その生活道具や建築は縄文文化の物質面を示すもの。その精神文化は何処に残っているのだろうか。

私は人類史を「祈り」を軸として考えてみた。「祈り」は人間に独自の行為で、しかも人間の生命の根源に発する精神文化である。祈りへの依存は生産力に反比例して高まる。縄文人の住んでいた社会には国境がなく、自然・太陽崇拝、アニミズムが一般的だった。人々は、その祭場を最も天に近い所に聖なる岩で築いた。岩は永久的素材だった。山の多い日本では山の上に、山のない砂漠では山のように大きく高い祭場すなわちピラミッドを築いた。

日本では この祭場を「磐座」(いわくら)と呼んだ。展望の良い中心的な山や岬には、今も磐座の跡が見られる。しかし後世になって神社が木材で建てられるようになると、人々は住居の近くに里宮を建て、元宮である山上の磐座を忘れてしまったのだ。

この研究所は、山野に埋もれた磐座を、市民参加で捜し出し、無理解な土地所有者から救出して清掃し、時にはシメ縄を張る。測量・調査をして世に出し、この貴重な歴史的文化財を保護するよう、公の機関に進言する。

磐座には縄文の精神文化が凝縮している。磐座を通して縄文人の宇宙的世界観を知ることは、無上の歓びである。それは、私たちが国境なき末来社会・地球平和を構想するためにも不可欠。過去に学んで、末来を拓(ひら)こうではありませんか。

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